つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

だらだらと長い歴史があるもので

 このWeblogなんてものを利用して日記(らしきもの)を書くようになってから、まだ一週間とかそんなものである。今までの環境と違うからまだ違和感があるが、すぐに今の環境が当たり前に感じられるようになるのだろう。以前の環境というのはつまり、HTMLやCSSなどのデータをすべて自分で用意してWebページを公開するような環境、ということだ。十何年もそんな環境で細々とサイトを存続させてきた*1
 おもしろそうなのでWWWサイトを開設したいと思い、そう難しくもなかったのでやってみたのはいいけれど、しかしコンテンツが思いつかなかった。自分は作曲や絵描きの高いスキルがあったわけでもなく、なにかの学問について人並み外れた知識なりがあるわけでもなかった。自己紹介とかよく利用するURLとかのページを作成して、あとは思いつくものがおよそなかった。だから、それこそなにも考えつかないという自分の気持ちから文字にしてみた。それが日記(みたいなもの)となった。
 最初の日になにを書いたかは今でも記憶していて、「さて何を書いたらいいかわからない」みたいな内容だった。もちろんそれだけで終了だと一行にも足りないので「いつまで続くことやら」だの「読んでくれる人はいるのかな」だの、独り言みたいな言葉が続いた。こんなふうにして自分のサイトの開設当初から日記(的なもの)を書いていたわけだが、つまりはとりあえずというかそんな感覚だった。続ける気持ちなんてそもそもなかったと思う。
 しかし、考えてみればなぜか日記(かもしれないもの)が書かれなかった日はまだない。遅れて書いたりしたことはあったけれど、その日の文章が公開されていないということはまだ一日もないのだ。こうなると惰性とかそんなものが作用してくるのかもしれず、書く方が自然だと思えてくる。だけどサイトで毎日のように更新するデータはその部分くらいであるという状態が続くと、さすがに手間とかが気になるようになる。ほぼ全部が自分の自由になる環境は、その分けっこう手がかかる。
 そういうこともあり、基本的には楽をするためという理由でWeblogの利用に移行した。今までよりは多少不自由さもあるだろうが、しかしかかる手間や時間はかなり減る。カスタマイズの大部分が一応完了した今の段階であれば、あとは日記(風のもの)の文章をだらだらと書いていくだけでいい。とりあえず今の自分にならこういう環境でちょうどいいと思う。利点欠点とコストパフォーマンスを考えても、最適ではないかと。
 ふと思うのは、自分の人生があと何年続くかなんてまったくわからないわけだけど、身体が動かないとかそういうことにならない限り、この日記(っぽいもの)を書くことをやめる理由は自分自身では発見できないような気がするな、だからなんとなく続いていきそうな気がするな、と。それまで日記を書く習慣もなかったし、文章を書くことが大好きであるということでもないのに、なんでこんなことになっちゃっているものやら。自分でもつくづく不思議だと思う。

*1:そして、まだ存在はしている。