死亡シミュレーション
葬儀に出席したのはつい半月ほど前のことであるが、それからどうにも死が身近に感じられるというか現実感が強まったようであり。恐怖というよりも、とりとめもなくシミュレーションが脳内で行われてしまったりするということだ。つまり、たとえば自分がすぐ死んだらどうなるか…など。部屋の整理をもうちょっとなんとかしないと申し訳ないし恥ずかしいとか、コンピューターの中身は見ないでほしいとか。
そうだ、どう考えても見られたくないデータはいろいろとある。いや、犯罪の証拠とかアダルトなものとかそういう意味じゃなくて。たとえば、日々こんなふうに書いている文章もそうだ。とりわけ隠匿しているわけではなくとも、死んだあとに全部まとめてしみじみと読まれたりするのは、後生だからおやめいただきたいとか願っているわけである。死んだらもうすっきり忘れていい…というかそうしてほしい。
なんというか、死亡するのも大変だよね、まったく。誕生しなければ一番めんどうがなかったのに。