つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

日本語でも違和感

参考
http://d.hatena.ne.jp/maoo/20091203/1259855545
参考
http://d.hatena.ne.jp/maoo/20101121/1290355098

 互いに日本語で会話しているのに話が通じにくい件に関連するのだが、気楽な文章(たとえばこういう日記のようなものなど)を読んだり、あるいは直接の対話をする場合であると、最近はもうさらにわからないことになっているように思う。文法的に正しくないと許せない…などということもないが(自分の文章だって意識して変な書き方をしている部分もあるし)、そういうレベルで論じるべき状態から逸脱しているようなのもよくある。
 特に多発しているように感じるのは接続詞まわりの問題であって、正しく利用すればこれによって全体の流れをコントロールしてわかりやすくできるとも思うのだが、そのあたりが壊滅しているように思える文章はめずらしくない。たとえば、極端な例ではあるが、「昨日は晴れていたから今年は2010年だ。」「ケーキを食べたいけれど月がきれいだ。」「この黒はとてもいい色なのにとても眠くてたまらない。」みたいなやつとか。
 そうそう、そもそも接続させるつもりからしてないのだろうと感じる場合もあるな。「ゴミを捨ててきた。テレビがつまらない。」「ちょっと寒い。今月はいろいろと出費が多かったなあ。」みたいなやつとか。微妙なところでは、そこで説明したり言及したりする必要性も意義もまったくわからない無関係と思われる情報が付加されていると感じる場合もよくあるし、「つまり結論はどういうことよ」みたいな場合も少なくもない。
 こちらの理解力が劣っている部分というものもあるのだろうと、これについては反省をしたり改善を心がけたり努力もしているつもりであるわけだが、そういう気分を根こそぎ破壊していくような言葉がやってくる場合はけっして少なくない。そんな気がする。こうなるともう、こっちがいくらがんばっても無駄だろうと思えてしまい、自分までどんどんだめになっていくような感覚がある。それは、とても嬉しくないことだ。
 そうして、スムーズに話ができる相手というのがいかに貴重かと気づかされる。自分も誰かにとってそうでありたいと思うが、それはちょっと無理かな。そもそも誰かと積極的に話をすることもないし。