つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

資格なき代弁者たち

 「(同じ)〜として恥ずかしい」みたいな言葉が世の中にあふれている気がする。この"〜"の部分には「主婦」「同僚」「都民」「日本人」「男」「女」などいろいろな単語が当てはまるわけだが、どうあれこの発言そのものもそれをする人も信用できないと強く感じることが多い*1。なんだろう、この勝手に代弁者を気取っているような行為は。どういうことなのだろう、集団の代表者になっているかのようなこの振る舞いは。
 たしかに発言者はその集団の中の一員であるのかもしれないが、だからといって集団そのものあるいは属する個人についてすべてを把握しているはずなどないし、ならば自分との関連を正しく判定することも簡単でないのは明らかだ。ただ同じ集団に属しているだけで自分にも関係があり罪なり非なりもあると短絡的に感じているのだとしたら思考がかなりおかしいと思うし、だが件の言葉はわりとお気楽に発言されている気がする。
 実のところ上記のような理屈はどうでもよくて、必要がなかろうがなんだろうがとりあえず謝罪の姿勢などを他者に示しておけばいいと考えている人がほとんどなのではないか。本当はそれについてなにも理解していなかったり、正直どうでもいいとか思っているのではないか。反射的に生活の知恵のごとく自分も恥じているような姿を見せて、いい人ぶりたいだけなのではないか。そんなふうに感じられて自分をいらだたせるのだ。
 なんだかこの「義務もないとわかっていつつ他者には低姿勢な自己をアピールしておく」みたいな態度って、いかにも日本人的なものであるように思えるのは自分の気のせいなのだろうか。一方で、犯罪者の家族が第三者から攻撃されるとか*2そういう傾向もわりとこの国では強そうな予感がするが、そういうまわりの人々に接して生きていくための処世術として発達してきた…とか? だとすると実にいやな現実であることよ。

*1:だが、たとえば子供がまずいことをやらかした際の親が「家族(親)として恥ずかしい」と発言するならまだ理解できる。子供の教育とその結果の行為に親は責任がないわけじゃないからね。

*2:書くまでもないことだけど、ただ家族であるというだけで責められるなどあってはならないことだ。