一人で食べるとおいしいね
正直で正確な主張であるかどうかは知らないが、「一人でお食事」を嫌悪する意思表示が世間にあふれている。たとえば小説でもドラマでもなんでもいいが、一人きりで食事をするシーンでは多くの場合、その当人がその状態を喜んでいないと明確に示されていたりする。おいしくなさそうにしていたり、さびしそうにしていたり、あるいはセリフでそんなことを主張してみたり。一人で食事をすることは望まない・望ましくないと、あからさまに表現しているのだ。
フィクションでない世界ではどうかというと、やはり状況はわりと似ているような気がする。さらには、「一人で食事をすることは悪」という風潮さえある気がする。だが自分はそれにはまったく同意できないし、例によって、まさに「一人で食事をしたい」ついでに「まわりに誰かがいる状態で食事をするのが嫌い」ですらある*1わけなのだった(便所に逃げようなどとは*2まったく思わないが)。…あ、ここで書いているのは「特に食事時に限定した場合について」ということね*3。
考えてみるに、どうやら食事というものはこの世界でわりと特別視されているように思えてくる。たとえば、人と人が仲良くなっていくステップの一つとして「いっしょに食事をする」というイベントが明確に設定されているような気さえする。自分にしてみれば、そんなことと仲良くなることは特に連動する必要性も関連性もないように思えるのだが、このあたりが自分と自分以外での感覚の差というものなのだろうか。食事のどこがそんなに特別なのだろう。
いつものようにちょっと調べてみたら、
食生活には、単に食べること以上の社会的意味が付与されている。
食事 - Wikipedia
なんて情報というかご意見があったが。自分が知りたいのは「多くの人がそのように感じ考えている事実(というか現状)」についてではなく、「多くの人がそのように感じ考えている理由や根拠そして必然性」についてだからなあ。なんだろう、動物としての生物的な本能にでも関連したようなことなのだろうか? ひまな時にでももうちょっと調査してみようか…とか考えている。