つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

性差の精査

 そろそろテレビのアニメーションな番組において、新しい作品の放映が開始されたりしているようなタイミングであるわけだ。そして、世にも有名な三国志*1それに類する作品については、あいかわらずたびたび登場するものだと思っていたわけである。つまり人気があるということなのだろうが、自分は特に好きということもなく歴史の方面への興味とかもほとんどないから、つまりはあまり楽しめない。…と、突然ここで自分が学生であった頃のことを思い出した。
 その地方その時代において同年代で*2あって自分の近くにいた人々についてのことなのだが、彼ら彼女らにおける世間話とか雑談に登場するテーマについてはなかなかはっきりとした特徴があって、とりあえず性別でかなり違っているということが明らかだったように思う。偏見でざっくりと分析してみるならば、男子グループでは「自動車」「スポーツ」「女」とかの話題が多く、女子グループでは「食べ物」「ファッション」「芸能人」とかの話題が多かったようだ。
 さて自分はというと、こういう話においては男性との相性が悪すぎたのだった。なにしろ上記のような話題にはその頃から興味がほぼ皆無であったから。女性の方面であっても大半はそうだったが、お菓子とか甘い食べ物に関わるような話題ならそこそこ楽しめたので、まだ話をしやすかった。まあ、世間話をしたいという欲求もそれほど強くなかったと思うし、むしろ勉強の方面で話さなければならないことが多かったし、ほとんど気にしてなかったが。
 こんなふうに、それぞれの集団とそれぞれそれなりに距離がある状態だった自分は、それゆえに両方のグループをある程度は冷静に外から観察しやすいような立場に位置していたように思う。いろいろとおもしろい…いや興味深い傾向や法則のようなものを発見したつもりになって、いろいろと感心したり驚いたりもしていたわけだった。(人嫌いというほどのことはなくとも単独行動を好むという自分の特性は、もうこの頃にずいぶんはっきりとしていたらしい。)
 たとえば、関心をもつ対象となる異性についての傾向は男女でかなり違っていると発見したり。男子は身近にいる誰かについての興味が強いようだったし、一方で女子は面識のないタレントやアイドルなどの有名人への興味が強いようだった。女のそういう思考を少なからず不思議に感じていた男はそこそこ多かったようで、「自分のことを知らず一生出会うこともないだろう奴らにそう夢中になれるのはどうしてだ」的な疑問を何度も耳にしたことがある。
 これに関して自分の感想を述べさせていただくなら、男女においては「実はほんの一部が違っているだけで考え方の根底はほとんど同じ」みたいなことはかなり多く、そして当人たちはそのことについてあまり意識すらしていなかったりするように思えるのだ。とりわけその現象がはっきりと判別できたのが、この件と三国志の件との類似性なのだった。そう、ここで話が最初につながってくるのである。(だらだら書いているから本題までが長いことだ。)
 三国志は男子にかなり絶大な人気があって、それに関わる議論めいた雑談をしているようなクラスメートはかなり多かった。そしてその当人たちはそんなことを想像もしていなかったと思うのだが、その物語や戦略のみならず武将の人生について熱心に語っているその姿は、女子が芸能人の話で目を輝かせている姿と酷似していたのだ。その武将がどのような功績や武勲があり生き様や死に様はどうだった…などと、心酔しているように語っている光景は、もろに。
 わざわざ繰り返すまでもないが、その武将とやらに今さら当人が出会ったりすることがないのは明白だ。そしてその心理状態とは、芸能人のファンになっている女子とさほど違うとも思えない。そうであるのに、その対象が違うだけで他はほぼ同じである思考については根本から理解できなくなってしまうような、そんな単純さが人にはあるような気がする。あるいは、性別が違うなら互いに理解できないのが当然であると、最初からそう思いこんだ結果なのだろうか。
 …などともっともらしいことを書いてみたわけだが、たぶん自分にも理解できていないなにかがこんなふうにたくさんあるのだろうなあ。とはいえ、そもそも人と同じ意見に到達しなければならないなどとまったく思っていないし、むしろ違う意見があって当然とも思っているのだから、わざわざそこまで考える必要もないわけだが。まあそれにも利点・欠点がそれぞれあるのだろうけれど、人とは下手に干渉しないのが楽でいいという意見なんですよ、アタシはね。

*1:参考 三国志 - Wikipedia

*2:もうちょっと具体的に書くと、だいたい15歳〜16歳前後の若者ね。