つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

幼い日のある冒険

 自分は昔のことをあまり記憶していない。記憶喪失だとかそういうことではなく、記憶しておく必要が特にないと感じればどんどん自動的に忘れていくということだ。たとえ必要があるものであってもそうなりがちであることについてはけっこう困っているのだが、これから年齢とともにさらにひどくなりそうなところがこわい。だがまあ、きっとしかたがないことなのだろうとすでにあきらめている。ちょっとだけ、どうでもいいとか思ってもいるし。
 さて本日、めずらしいことに夢の中で遠い昔のことを思い出したのだった。まだ幼児だった頃のことであってあちこちあやふやな点もあるものの、とはいえ本人にとっても驚くほどの鮮明な記憶が残っていたということで。なんだかひどくなつかしい気分になってしまったので、その内容について書いておこうと思う。たぶんこれからさらにどんどん忘れていくに違いないはずだし、ちょっとした記憶のバックアップのようなつもりで。
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 その友達の通園路の途中に自分の家はあった。だからけっこういっしょに帰宅することがあり、そしてその日いつものように別れようとしたところで家に招かれたのだった。それまで一度も訪ねたことがなかったこともあり興味はありつつも、どのあたりの場所であるのか自分にはよくわかっていないのが不安であり。ともかく自分の親に許しをもらうため相談したわけで、母はその子に家はどのあたりであるのかを尋ねたのだった。
 年齢から考えてもしかたがないことだろうが、その場所の説明はかなりあいまいであったように思う。ただ自分がなんとなく感じたのは、なにしろその友達(女の子だった)が毎日のように往復している距離なのだから大丈夫だろうということだった。最後には母も同じように考えたということなのだろう、「遅くならないうちに帰りなさい」という声で送り出してくれた。この時、自分(とたぶん母)はせいぜい片道で十数分程度の距離を想像していたのだ。
 いろいろとおしゃべりをしながら歩いていったが、なかなか到着しない。その頃からすでに外で遊ぶことが好きというタイプではなかったこともあって、歩き続けて30分ほどもするともう今の場所を理解するのがやっとという程度になった。後に自分一人で帰れるものかどうかがだんだん不安になってきたが、家はまだ先だとその子は言う。自分は思い直した。距離はあってもほとんど道を曲がることもなくまっすぐ歩いているのだし、きっと大丈夫さと。
 自分らしいのんきさと幼児らしい浅慮さからしても、そろそろ本当に本気でまずい事態になっているのではないかと思えてきた頃、目的地にやっと到着した。出発前に予想していたより3〜4倍ほどは遠くて、1時間よりももっと歩いたのではないだろうか。だから、そんなにゆっくりと遊んでいるわけにもいかなかった。なにしろ自分はまた歩いて帰宅しなければならないのだし、おそらくそんなにしないうちに帰ろうとしたように思う。
 その時に「一人では帰れないかもしれない」とでももらしたのか、その子のお母さんに不安を察してもらえたということなのか、結果的には自宅に電話をしてくださり、母が迎えにきてくれることになった。母もその地区にくわしいわけでもなかったので、その近所のスーパーマーケットを待ち合わせの場所とし、待っている間にそこでチョコレートを買ってもらった。親にはお菓子をあまり買ってもらえなかった自分のこと、これはたいそう嬉しかった。
 けっこう待ったような気がするが、そんなことはあまり気になっていなかった。いつもなら自宅で夕食の頃のような時刻にまだ友人と遊べていることが楽しかったのだ。だから母の姿が見えた時には、それはもう予想以上に安堵して泣きそうになり、だがこの時間が終わってしまうということがとても残念で。夕焼けで空は橙色に染まる頃、夕日でアスファルトも黄色みを帯び光っていて、母と手をつないで歩き出し、何度も振り返って手を振った。影が長く長く伸びた。
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 先ほど地図で確認してみたら、その友達の家まではどうも片道で2Km弱もあったらしいことになっている。大人になった今ならともかく、幼児の足でしかも出不精の自分にとって、その距離はたしかに冒険だったことだろう。母といっしょに帰宅する時、歩けなくなることはなかったがさすがにくたびれてしまったのをおぼえている。そして、この経験でくじけてしまったというわけでもないが、もうその友人宅に行く機会はなかった。
 …いや、実はその1年か2年ほど後だっただろうか、突然なぜか思いついてその時と同じように歩いてまた訪ねてみたことがあるのだ。卒園してからその子とは小学校が別になり、まったく連絡もしておらず、自分のことをもう忘れられている可能性もあったわけだし、さらには約束も予告もせずずうずうしい行動でもあったし、まさに自分らしからぬことだとすごく思うのだが、その時には…いったいどうしてだろう、まったく疑問を感じなかった。
 そして自分にしては奇跡的なことだと思うのだが、いわゆる団地であるものだから同じような建物がたくさんあるような場所において、かなり前に一度しか来たことのない集合住宅の一室を、まったく迷ったり悩んだりすることもなく発見することができたのだった。住所というかほとんどシリアルナンバーか暗証番号のような建物と部屋の番号までを、その時でもきっちりと記憶していたということになる。今となってはちょっと信じがたい。
 さて結果としては、その子は不在だった。急にやってきたのだからしかたがないことだ。ただ、そうなることを自分はすでに予想していたということだろうか、それほどがっかりはしなかったと思う。ただ思い出をたどってその場所に行くことこそが目的だったのかもしれない。お母さんはおられて自分のことをすぐに思い出してもらえ、飲み物をごちそうになって少し話をした。…たぶんご迷惑だっただろうな。だが自分は充分満足して帰宅した。
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 そして、今度こそそれっきり。こんなことがあったことすらずっと忘れていた。どうして急に思い出したのかはわからないが、不吉な予感や虫の知らせとかではないと信じたいところだ。その顔や名前の記憶もすっかり不鮮明になってしまっている彼女ではあるが、今も元気で幸せに暮らしていることを祈る。もう再会することなどないだろうが、あの日と自分のことをまだ少しでもおぼえていてくれたなら、たぶん、とても嬉しい。