つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

青春はお若いうちにどうぞ

 噂によると、若い頃にはエネルギーがみなぎりパワーがあふれ熱情でギラギラしているような時代があるものなのだ…とのことだ。個人差はあるのだろうが、年齢にして十代後半頃のことであるとか。なんだかよくわからないが、とにかくいろいろな人がそのような内容の発言とかをしているように思うので、嘘や間違いではなさそうな気はする。おそらくそれがいわゆる青春時代とか表現されるものなのであろう。辞書によれば、それ以外に夢や希望などもたっぷりであるのが青春というものらしい。
 以上のような文章を、もうまるっきり他人事のように書いているわけだが、それもそのはずで、自分にはそんな実感などなかったときっぱり断言できるからなのである。該当する年齢であった頃の自分については、体調や頭の働きが今よりずっとよろしかったという実感があって、そして一方で、経験や知識が不足していて判断を誤ったり失敗したことがけっこうあったと思い出せる。せいぜいその程度なのであって、あえて一言で表現すれば「健康だが未熟だった」で完結しそうだ。
 だからといって自分の過去を短絡的に後悔しているとかそういうことでもなくて、どちらの道を歩いたとしても利点や欠点はそれぞれあったのだろうし、どちらが正解かなんて判定できるのは神様くらいのはずだ。自分の知らないその青春なるものに興味くらいはあるのだが、とはいえ万が一にもこれから突然やってこられるようなことになったら、本人は今さら困るだろうしまわりの他人は混乱して迷惑なだけだろう。時を逸してしまうともうわりとどうしようもなくなることって、いろいろあるんだよね。
 その意味で、親がその年頃の子供によく発言している…のではないかと予想する「そんなことは大人になってからでもできる(だから今は勉強をきちんとしなさい)」的なものは、実は間違いや危険をいろいろと内包しているのではないかと思える。たとえば、そこで子供が親に反発して激突し互いに妥協点を模索し発見し着地するようなことになればちょうどいい結果となるのかもしれないが、すべてのご家庭でそんなパターンが成立するわけもないし。このあたりはすごく難しい問題であるような。
 こんなふうに考えてくると、自称とはいえ青春経験者の割合が予想外かつ異様に高い気がして不思議な気分になる。微妙なタイミングだとか条件だとかの上にぎりぎり成立するはずだと思えるような状況であるのに、それらが多数の人にとってあっさりとクリアーされすぎているような気がして。こういうのは遺伝子かなにかで無意識のうちに命じられでもした結果であるのか、それともゴーストがささやいたりするのか*1。どうもなんだか理解できず、そんな自分だから得られなかったのかもしれない。
 まあとにかくあれだ。どうせ「青春する」なら、どうぞお若いうちに。