つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

読めないe-mailが増えている

参考
http://d.hatena.ne.jp/maoo/20091112/1258039847

 新しく製品を購入したり新たなサービスの利用を開始したりすると、到着することになるe-mailの傾向も変化してくるわけであるが。最近になってよく思うのは、読めないe-mailの送信されてくる状況がどうやら蔓延しつつあるようだ…ということ。現在までの自分の環境に関して考えると、こんなものがちらほらやってくるような状況であるのだが、

  1. HTMLメールで*1ある
  2. "Quoted-printable"で*2エンコードされている
  3. 文字コードが"UTF-8"で*3ある

これらは(自分の場合では少なくとも楽には)読めないわけで、どうしても読む必要があるということでなければ無視あるいは破棄することを即座に決定している。
 それにしても事情がよくわからない。文字コードにはJISコードを*4採用し、プレーンテキストか*5せめてそれを含むメールとして送信することに、いったいどれくらい大きな問題があるのだろう? より多くの人に読んでもらうのが目標であろう宣伝だとかインフォメーションのようなメールについて、読めない人が発生するかもしれないようなことをわざわざやってしまう事情って、いったいなんなのだろう? もしかしてなにも考えていないの? それとも考える人がいないの?
 いや、きちんとした事情・理由があってそうしているのであれば、まだ理解できることではある。いいかげん、MUAなど*6自分の環境(の一部)が古すぎる状態であるということはわかっているし、問題なく受信できる人がよほど大多数であろうとも思うし。それでも、e-mailの特に送信に関しては謙虚で慎重な姿勢であるほうがいいと思える。今さら…と思われるかもしれないが、中継するSMTPサーバーが*77bitのコードにしか対応していない可能性だってゼロではなく、そして送信者が経路を完全に支配することは無理なのだし。
 それはまあ考えないことにしたところで、少なくとも受信者の環境については考えるべきだと思うわけで。特に、不特定多数の人間にまとめて同じデータを送信するような(それこそ上記の例のような)e-mailであったり、あるいは(過去に書いたような)商取引に関するような重要なe-mailであるならば、危険であるような要素はもう徹底的に排除してもいいくらいだと思うんだが、なぜそうしようと思えないんだろう。スリルとサスペンスでも求めているのだろうか。
 赤い色で大きいサイズにした明朝体での文字表示を強制したりするのが、そんなに大事なことなのか? 送信前のコンバートではなく、送信時のエンコードを選んだ理由はなんだ? ユニコード(Unicode)でないと*8表現できない文字が含まれているわけでもないのに、なぜわざわざこの文字コードを用いる? こんなふうに自己満足の結果を一方的に送信する人とか企業さんって、そのデータを受信して読もうとする人がいるってことを忘れているんじゃないのか。送信することがゴールじゃないし、読まれないと意味がないと思うんだが。