つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

不毛だとわかっていても

 「好きこそ物の上手なれ」なんて言葉がある。好きであれば上達も早いという意味であって、それはほとんどの人にとってそうなのだろう。ただし、それは個人の能力の差より影響が大きいことはないと思う。つまり、それがまったく嫌いなのだがその方面での能力はすばらしい人と、それが大好きなのだがその方面での能力はたいしたことがない人は、たぶんどちらも実在するだろうし、そして前者の能力が後者のそれを大きく上回っていることなんて珍しくもないだろう、ということだ。
 なんだか「残酷な現実」みたいな雰囲気がないではないが、直視しなかったら現実にならないというわけでもなんでもないのだから、こういう理解はできれば子供のうちにしっかりとできていたほうがいいと思う。…などと考えている自分は、(幸いなことにそのつもりもないが)おそらく子供の教育にはまったくぜんぜんちっとも適していない人間であろう。子供らしい大きな夢なんてものを自分に披露されたりしたものなら、そのプランのずさんさや欠点などを徹底的に指摘し、その子が泣いてもやめないのではないかと思う。
 そんな自分でも、その方面での能力はまったくたいしたことがないとわかっているのに不意にやってみたい気分になる…という場合がある。たとえば、プログラミング作業とか。趣味でコンピューターのソフトウェアを製作というようなことなのだが、前回にそれをやったのはけっこう昔だった気がする。そして今、なんだかよくわからないがやりたくてうずうずしたり。やってどうなるものでもないし、いいものができるとも思えないのにな。どうしてだろうか。なにかに感化されたのだろうか?