つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

長生きの炊飯器

 自分は米にそれほどの執着や愛着がない。純粋な日本人ではあるし、生まれ育って大人になるまでいた実家で食べていた食事は和食が中心であったから、毎日のように食べてはいたのだが。もっとも、嫌いということではなくて、ただ「それでなくてはいけない」とは思っていないというだけのことだ。米がなくて、いわゆるおかずというものだけを食べるのでも不満はないし、パスタでもパンでもほかに食べるものがいくらでもあると思う。お金さえあれば、もっと珍しく高級なものだって食べられるだろう。
 そんな自分でも、たぶん大半の日には米を一度はいただくことが多い。外食をすることはまずないし、お弁当などを買ってくるということもあまりないから、つまりは自分の部屋で炊飯をすることになる。さて、そのために利用している炊飯器であるが、これはかなり昔に買ったものだ。あっさり10年以上は利用していることになるわけで、残念ながらこわれてしまえば修理をお願いするよりは新しいものを買うという段階ではあろうが、とりあえずまだ働いてはくれている。
 ただし、これはさすがにしかたがないと思うのだが、こまかいところでちょっとした不具合は出てきている。たとえば、操作したり炊飯が完了した時に電子音が鳴る仕組みがあるのだが、これが働いてくれたりくれなかったりする。あと、こちらのほうがより重大な問題だと思うが、加熱の状態にややむらがあることになっているようだ。炊きあがった結果、中心近くの米は水分が多めでやわらかい傾向がある。食べられないとかすごく困るということではないのだが、妙に気になることではある。
 完全に故障してはいないが動作に支障がないわけでもない…という状態は、けっこう面倒であり。新しいものにするにはもったいないと思えるし、かといって毎日のように利用するものでもあるなら問題点が気にならないわけもない。まあ、精神的な平和のために出費をするというのも、ある意味では正しい判断かもしれないな。もっとも、新しいものを購入して「前のやつがまだ使えたのに」とか毎日のように後悔するようなことになったとしたら、もはやかなりどうしようもない気もするが。