つれづれなる日記 @ maoo.jp

退屈な日々をより退屈な文章でだらだらと

データの寿命

 最近になって、主に利用しているコンピューターとその環境が変化したわけであるが、それに関して考えてしまったのが、今までなんだかんだよく利用していたソフトウェアのこと。それは文書を作成するような製品なのだが、それはかなり以前からすでにバージョンアップもなくなり後継製品もなくて、つまりはもうじょじょに消え去っていくことが決定されているようなものだった。それ自体は「残念だね」という程度なのだが、問題は今までそれで作成したデータであって。
 そのデータを扱えるソフトウェアがなければ、蓄積されたデータもただのゴミでしかない。こういうのってコンピューターの世界ではありがちなことではあるけれど、面倒なことだよなあ。特にMacOSな方面はそういう問題がWindowsな方面より多いような気がする。好きというわけではないが、WindowsなOSではそれ自体とその上のソフトウェアとさらにそれで扱うデータの寿命が、MacOSな環境の場合よりは長めであるような気がするわけで。
 MacOSな方面でも、移行そのものについてはかなり考えてくれてはいると思う。MPUが680x0系からPowerPC系に変化したり、MacOSがClassicなやつからX(10)シリーズに変化したり、MPU/CPUがPowerPC系からx86系に変化する場合でさえ、かなりエレガントに問題を解決してきてはいる。だけど、進化のスピードが速いということなのかどうなのか、古いものを切り捨てるタイミングも早めに思える。それは完全に悪いことでもないのだろうが、いろいろ不便は感じたりするのだった。
 件の製品は今ならまだ動作させることができるが、PowerPCバイナリーだけに、そう遠くない将来に実行させることもできなくなりそうな気がする。そしてそのデータファイルの読み込みをできる他の製品とかもないように思えるし、これはけっこう困った事態なのだった。いろいろと問題はあると思うが、Microsoftな会社のOfficeな製品にはこういう点でものすごい安心感があるよなあ。オープンフォーマットの*1地位が上がってくれば、こんな傾向も弱まってくるのだろうが。