この国らしさにうんざり
最近話題であるらしい、とある芸能人の「覚せい剤取締法違反(所持)」容疑に関する件で考えたのだが。もちろん、法律に違反するようなことをすれば、罪であり罰せられるのは当然であり、やっちゃいけない悪いことをしたのだという認識については当然として。しかし、その芸能人がかかわった歌やらドラマやら(これがもしも芸術家のことだったら絵画やら音楽やらということになるだろうが)、そんなものの評価までもを下げる人たちの思考がわからない。
さらにわからないのは、それを世間に浸透させようと考える人たちの思考だ。つまり、「罪人の歌声や出演するテレビドラマなんて不愉快だ」などと思うのはもちろんご自由ではあるのだが、だからといって「販売や放映をやめるべきだ」とか主張されるとなればちょっとどうなのか。自分が接しないようにするだけでいいはずなのに、世の中から抹消するようなことにならないと満足できないのだろうか。こういうことに
所属レコード会社のビクターエンタテインメントは、酒井容疑者の楽曲配信を停止する方針だ。
ねとらぼ:酒井法子容疑者の「碧いうさぎ」、iTunes Storeで2位に - ITmedia NEWS
なったりするのは、そういう人たちの存在とたぶん無関係ではないはずだ。
自分の感覚はまったく違う。もしも最悪の犯罪者が作者であったとしても、すばらしい作品はすばらしいものだと思うだろう。たとえば、ある画家がすばらしい作品を発表し世の人々から賞賛され、その後に凶悪な犯罪者となったとしても、その作品のすばらしさがいきなりなにか変化するとは思えない。つまり、人とそこから生産されたものは独立して考えるべきだというのが自分の意見であって、同一視あるいは混同するような感性が正しいとはどうしても思えない*1。
こういう問題って、どうも日本人的な気質みたいなものも影響していそうに思える。たとえば、なにかの運動部において部員の(個人的な)不祥事が発覚すると、部として大会などへの出場を中止したり部全体の活動停止とかをしたがる人がいたり、(その部なり部員なりが自分とまったく無関係であっても)そうさせたがる人がいたりするような気がするが、根幹部分はほぼ同じものではないだろうか*2。そして、なんだかこういうのはいかにもこの国らしい気がする*3。